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第124回e4c-village協議会 報告

皆様、お元気に新年を迎えられたことと思います。
新年に当たり気持ちも新たに今年の抱負を胸に抱き、遠近の未来を見通そうとしているのではないでしょうか。
正月明けからすぐ3連休、本番は今週からという方も少なくないかもしれません。
今年が大変な年になるのは分かっていることですから、十分英気を養って、存分の覚悟を決め、焦らずに取り組んでみてください。
寒さも厳しくなっております。心身共にご油断の無いように!

さて、年末に予告を差し上げましたが、今年初めのe4c特別協議会「新春放談」は首記のごとく
IIJ社長の鈴木氏をお迎えいたします。
e4cの人選は、協議会に限らず、いつも「自立の系譜」です。
伊藤忠商事の会長(当時)の丹羽さんから始まった特別講演は、毎回、自ら考え、自ら実行し、周りに元気を与える方にお願いしてきました。
口先だけの人ではこの危難を乗り越えることはできません。
今回の鈴木さんも人後に落ちません。
私もソニー時代からお姿なり、お声は伺っておりましたが、親しくお話を伺ったことはありませんでした。
クロスウェイブコミュニケーションを立ち上げたときのパーティでも遠くからお目にかかったりはありました。
大きな声で豪放な人だなという感慨は持っていました。
今回は友人のCTC専務の藁科氏が紹介の労をとってくださいました。
実際にお会いして想像通りの方でした。
フランクで破顔一笑の笑顔は以前拝見していたお姿そのものでした。

鈴木氏は、ご存知のとおり日本のインターネットの草分けのお一人です。
鈴木氏が株式会社インターネットイニシアティブを設立したのは1992年のことでした。
インターネットの商用サービスとしては日本初になります。
だいぶご苦労があったようで、当時の郵政省がサービス開始の申請をなかなか受理してくれず、
結局開始は2年後の1994年になってしまったということです。
思い返してみれば確かにその頃ソニーでも社内のバックボーンをどうするかとか、メールを導入するから云々とか、
本当に今では想像できないくらい原始的な初期段階だったように記憶しています。
そこから急速にメールやwwwが普及し、実際に使われるようになって来ました。
FAXが便利だといってテレックスが使われなくなったように、
電子メールは、少なくともインターネット環境を利用している人たちの周りからは、FAXを駆逐していきます。
あの頃に鈴木氏は、慶応の村井純さんとかインターネットの先駆者たちと一緒に日本にインターネットを根付かせる
活動をしていらっしゃったのかと思うと今更ながら感慨深いものがあります。

以来20年。インターネットは必要不可欠な社会インフラの一つに育ちました。
PCだけでなく、携帯電話もインターネットを使っていますから、いまや日本国民のほとんどはインターネットのお世話になっていると言えます。
しかも止まるところを知らぬように、技術もサービスも進化し続けています。
スマホやタブレットの普及と熱狂はこれを如実に表しています。

鈴木氏の育った時代は、一方でアメリカではカウンターカルチャーの時代で、
その中からパーソナルコンピューターやwwwが生まれてきます。
スティーブ・ジョブズもその中にいた一人でした。
日本にはその文化そのものはありませんでしたが、当時の日本の若者はそのアメリカ文化の匂いを映画・音楽などでも
感じていたと思います。
ビートルズのちょっと後くらいだったでしょうか。
鈴木氏とお話をしているとそんな匂いがしてきます。
この人は建前で生きていない、いつも本音だ、という感じがするのです。
ご著作を読んでもっとはっきりしました。
皆さんもできればご著作を読んでみられることを薦めます。
(「言葉の水割り 酒と煙草と、ぼくの思いはインターネット」講談社、「鈴木幸一の文明漂論」日本経済新聞出版社)。

今回はそういう鈴木氏から、インターネットのこれまでの20年、そしてこれからを、
思いつくままの感じでお話いただければと思っています。
何が出てくるか私も分かりません。
ただこれだけは言えそうです。元気と勇気をもらえる話。

「新春のご挨拶」でも書きましたが、
昨年が破壊の年であったとしたら、今年は創造・構築の年です。
自信を持って、新しい可能性を提案し、実行に移していきましょう。
変革も創造も実行がなければ何も生みません。
鈴木氏からたくさんのヒントをいただきたいと思っています。

是非奮ってご参加下さい。今年も語り合いましょう。それでは会場で!!

株式会社イーフォーシーリンク  横野 滋